CEO Story 代表 市川慎二物語

初めまして、株式会社ヤマイチ 代表取締役の市川慎二と申します。私は、1972年(昭和47年)9月、群馬県西部にある南牧村で材木屋の次男として生まれました。高校卒業後は大工一筋、25歳で独立してからずっと多くの仲間たち、そしてお客様に支えられてきました。
ここでは、そんな私が辿り着いた家づくりの考え方や、その原点についてお伝えしたいと思います。

Scene01大工になった市川少年。

子供の頃は「元気の塊」のような少年でした。群馬県西部の南牧村の大自然の中で生まれた私は、夏は川泳ぎと魚取り。山に潜って山菜採り。冬はスケート(川をせき止めて、スケート靴を履いて、天然の氷の上で滑っていました)。ヤンチャ仲間と一緒に毎日自然と戯れて育ちました。
当時実家が材木業を営んでいたこともあり、大工さんや職人さん、そして現在もこだわって使用している「木」は身近な存在であり、一緒に生活する仲間のような存在でした。材木屋のせがれとして育ち、高崎工業高校建築科に進んだ私ですが、当時から大工一筋と考えていた訳ではなく、むしろその勉強は設計やら図面やら座ってする勉強がほとんど。元来、自由奔放な私は、(何のために高校に来たんだ?こんなことで良いのか?)と子供ながらに自問自答し、「設計事務所へ行け!」と言う先生のアドバイスに逆らって大工の道を志しました。
と書くと、カッコイイですが、当時はただ「体を動かす仕事で飯を食っていきたい」という単純な思いだったと思います。そんな単純な理由で、いざ大工の道へ!
ただやはり、大工の道はそんなに甘い道ではありませんでした(苦笑)

Scene02厳しい親方に鍛えられ。

「えらいとこ来ちゃったなぁ」 自分で決めた大工の道だったものの、その世界は想像していたものとは全然違いました。仕事は朝から晩までぶっ通し。親方は無愛想だし、厳しいし。初日から毎日現場では怒られっぱなし。始めて2,3年は、技術なんてないし、やってることもよく分からない。そんなんだから、やり甲斐なんて感じようがない。そんなことは、今思えば当然のことですが当時は、「もう辞めよう」なんて毎日、いや、毎分の如く思っていました。でも、自分で決めた道だし、なんとか頑張ろう!
そんな葛藤の最中、ある一軒のお宅の完成を迎えました。

Scene03少年から大工へ。市川少年が家づくりの醍醐味を知る。

親方のつくった一軒の家。半人前のお手伝いでしたが、そのでき上がる様子をずっと見守っていた私は、「モノ(家)ができ上がっていく姿」に強い感動を覚えました。そして、もう一つ。「そのでき上がった家を喜ぶお客様の姿」今でもあのお客様の表情が変化した様子は鮮明に覚えています。「あぁ、これが大工の仕事か!」そんな親方の仕事を側で見ていて、こんな親方のような仕事が自分にできるだろうかという不安もありましたが、自分の手でお客様に喜んでもらいたいという気持ちがグッと強くなりました。この出来事が私の大工としての原点、出発地点だったなと思っています。
それからは、大工仕事の入れ込み方も変わり、徹底的に修行に励みました。また、「人との付き合い」も大切にするようになりました。建築に携わった家のことは必ず覚えるように、お客様にも気持ちよく思っていただけるように意識するようになりました。そうすると、次第にお客様との距離も近くなり、「夕食食べていけよ!」「何?この寒い中自転車で来たの?送って行ってやるよ!」と暖かい声を掛けていただけるように。私も、その恩を返そうという思いで一生懸命仕事に取り組みました。

Scene0425歳で独立。『健康住宅』と出会う。

親方の弟子の中でも一番上になり、大工としての自信もついてきた25歳の頃、私は独立を決意しました。
不況の影響もあり、その数年前に実家の材木業が倒産。そして、親方への仕事の減少。そんな時ではありましたが、私は結婚し、子供も授かる予定が。何としてもやるしかない!そんな思いもあり、独立当初は建築の仕事なら何でもやりました。住宅メーカーの下請工事から、土木の工事まで。大工の私からすると、こんな家づくりで良いのか?という工事も数多く見てきました。
ある時、完成した家をお客様に体感いただく現場見学会で、家に入った瞬間、気分が悪くなるお客様がいました。咳が出るお客様がいました。いわゆる「シックハウス」、アレルギー反応ですね。そんな仕事を重ねるうちに、自分の中で矛盾が生じてきたのです。こんな仕事で、あのお客様の笑顔は作れるのか?そう、私の原点、あのお客様の笑顔です。そのことを思い出した瞬間、自分の中でまた新たな闘志が盛り上がってきました。「近い将来、必ず俺が正しいと思った家を俺の手でつくる!」そう考え、研究を始めた時、今の株式会社ヤマイチの家づくりの原点となる「健康住宅」「自然素材」に出会ったのです。
家づくりは、外観などのカッコイイデザインももちろん大切。でも、それによって忘れてはならないのが、家族が住んでから快適な空間であり続けること。そして、その快適とは、「健康に生き続けられること」なんだ!住まう家族の健康のために、上に挙げたように家づくりの素材に徹底的にこだわるようになりました。

Scene05人の想いが詰まった家づくり。

自分で家づくりをする中でもう一つ大切にしていることがあります。それは、「家づくりをする人の想いを大切にする」こと。家はずっと住むものだから。いくらその家の耐久年数が続いても、人の心が充実していなかったら、家に飽きてしまったら、その家の賞味期限は終わりです。この家を建て替えたいんです!そうご相談をいただくお客様の家を拝見すると、建物自体はまだ立派で、リメイクすれば十分いい家として住んでいられるのに、もったいない。きっと、家は立派だけれどお客様の想いや、つくり手の想いが、その価値がお客様に伝わっていなかった結果なんだろうと思いました。
永く「想い」まで住み継がれる家を。ずっと、心地よく住み続けていただくためには、住まうご家族の想いにしっかり気付いて仕上げることが大切だと思っています。特に私が大切にしたい想いは「この家を誰かのために」という想い。ヤンチャなガキんちょだった私も人の親になって、そんなことを考えるようになったのです。

Scene06父親になって思うこと。

そんな私も、人の親になりました。今まで、ご家族の家をたくさんつくってきましたが、自分が親になると、家もまた一味違った見え方をしてきました。
住まいは子供たちのために。家を建てると決意したご主人が家族のために。母親になった奥様が子供たちのために。定年を過ぎたお父さんが子供・孫たちのために。家づくりのきっかけは?とお客様にうかがうと、ほぼ必ず「誰かのために」という言葉が返ってきます。それは、元々一軒家が夢だった…という人も同じ。そのきっかけは誰かのためにということが多いです。そして、その言葉の多くは「住まいを子供たちのために」という親の想い。私も人の親となり実感する所であります。この子を少しでもいい環境で育ててあげたい。親鳥がヒナたちのために、一生懸命に巣をつくるのと同じ。人もきっと、子供たちのためにその環境をつくりたいと思うのだと思います。
であるならば、大工として建築のプロとして。親の気持ちに応える家づくり。それは、技術や素材はもちろん、価格の面でも。今のご家族が手に入る価格で、最高の家を。その家族にとって最高の環境で子育てを。子供が楽しそうに育っていく姿を見ていると、嬉しいような、ホッとしたような、和らぐような。そんな気持ちになりますよね。これは、大工であり、父親・市川慎二としての想いです。

Scene07人のために、人がつくる。

いかがでしたでしょうか?私の個人的な話も盛り込んだので、いささか恥ずかしさもありますが、私の家づくりの考え方のルーツということでお伝えさせていただきました。
私ごとではありますが、こうやって自分を振り返ってみて、あることに気付きました。やっぱり俺は、大工なんだ。大工修行を始めた時の「あのお客様のような笑顔」がたくさん見たい!それだけでやってたんだ!そのために、試行錯誤を重ねていたんだって思いました。株式会社ヤマイチはこれからも、培った技術と、想いが詰まったお客様にとっての究極の一品をつくり続けます。
現代の家づくりはその文明の発展により、その精度・効率は目覚ましい発展を遂げました。もちろん、私もその文明の利器は十分お客様のためになるものだと思っています。ただ、家づくりはそれだけではダメだと思っています。なぜなら、家は建てて終わりではなくずっと住まうものだから。そこに人の想いがあって初めていい家はできる。これは、変わらない私の想いです。